東西における収入分配の公正評価
@incollection{ahvw1995, author = " Arts, Wil and Hermkens, Piet and {van Wijck}, Peter", title = "Justice Evaluation of Income Distribution in East and West", booktitle = "Social Justice and Political Change: Public Opinion in Capitalist and Post-Communist States", publisher = "Aldine de Gruyter", year = "1995", editor = "Kluegel, James R. and Mason, David S. and Wegener, Bernd", pages = "131-149", address = "New York", }
- 作者: David Mason
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 1995/12/31
- メディア: ペーパーバック
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この前の論文と同じ本に収録されている別の論文。前半の公正評価モデルの定式化のところがけっこうややこしい。以下に、たぶんこういうことだろうと思うまとめ(誤解している部分があるかも)。
個人 の受け取る報酬と報酬総和との比が、個人 がなした貢献と貢献総和との比に等しいとき、個人 は公正な報酬を受け取っていると仮定する。すなわち、
式を整理して、上のような意味での公正という観点から個人が受け取るべき報酬額について、次の定義をえる。
一方、個人 の貢献は報酬との関連が予想される 個の特性について個人 がもつ値の重み付けの合計によってとらえる。つまり、
ここで は個人 の貢献度を考える際に特性 をどのくらい重視するべきかという問題に関して、それぞれの特性 がもつ重みをあらわしていると見なす。ここで、話を単純にするために、次のような2人の個人が受け取るべき公正な収入がいくらくらいになるのかを考える。考慮すべき特性は2つしかなく、個人1はそれぞれについて 、 の値を、個人2はそれぞれについて 、 の値をもつ。したがって個人1の貢献は 、個人2の貢献は である。ゆえに個人1の公正収入は 、個人2の公正収入は 、すなわち、それぞれ および になる。これを一般化して、この状況のもとで個人 が受け取る公正収入の定義について、
をえる。ここで、
とおくことによって、個人 の公正収入は
となる。 について整理することで、次の式をえる。
ところで、以上の定式化は個人 の公正収入について適用されるものだが、個人 が実際に受け取っている収入の場合も同じように考えることができる。そのとき収入の総和における個人 のシェアは で、やはり の関係がえられる。一般的に個人 について、実際の収入と公正な収入とが一致しているとき、公正な配分状況が成立していると評価することができる。これは次式の左辺が0になる状況に一致する。
なお、これまでの議論から上式が次の式と等価であることは明らかである。
この論文の従属変数は で、大企業の社長と非熟練労働者が受け取るべき正当な収入についてたずねた質問から操作化している。 の規定要因としてもっとも重要と予想されるのは大企業の社長(あるいは非熟練労働者)が実際に受け取っている収入のシェア、すなわち だが、それ以外にも回答者の世帯収入がどれくらいだとか、平等主義的な価値観をもっているかとかいった事柄も、 の水準を左右すると考えられる(例:平等主義的な人は大きな収入格差を生むような分配原理を否定するので、大企業の社長の取り分があまり大きくなりすぎるのを嫌う)。そこで 以外に学歴主義や平等主義といった価値観、政治的イデオロギー、回答者の世帯収入(国平均で除)を独立変数に含む下記のモデルを東西別の国グループに対して推定している。
の推定結果を見ると、体制の東西を問わず に対する実質的な影響力をもち、ここから公正評価のプロセスにおいてあるていど普遍的と考えてもよいような何らかの心理学的規則性が働いていると推察できる。しかしながら の推定値は西側でより大きな値になっている(非標準化係数)。これは“What is”が“What ought to be”を判断する際の規範的なルールとして確立するためにはそれなりに長い時間を要するというHomansの観察結果と一致する。変動期にある東側諸国では、まだ現実の状況が公正な配分状態を体現していると評価できる段階にはいたっていないということだろう。現段階では東西において収入における公正性を判断するメカニズムがまったく同一のものと結論することはできない。
以外の推定値についてはさらっとした記述しかないけれど、やはり東西で異なった傾向があるようだ。平等主義的な人ほど大企業の社長の収入を少なくすべきと考える傾向は東側でより顕著だし、西側では上位の収入階層に位置する人や右寄りの人は大企業の社長の正当な収入を高めに設定している。やはり西側において功績や貢献の原理がより浸透している証拠かもしれない。概念と変数操作の対応関係についてところどころついていけていないところがあるけれど、だいたいの内容はつかめた(と思う)。でも、もっとオーソドックスな社会学系の論文も読んでおかないと。それと、もっと最近の論文も。