なぜ容認可能な収入格差の水準が異なるのか

@article{hdlr2005,
author  = {Hadler, Markus},
title   = {Why Do People Accept Different Income Ratios? 
A Multi-level Comparison of Thirty Countries},
journal = {Acta Sociologica},
volume  = {48},
number  = {2},
pages   = {131-154},
year    = {2005},
}

 ISSPのデータを用いて収入格差についての態度を分析したもの。従属変数は“Differences in income in (country) are too large”という主張への賛否をたずねたもので、日本の社会調査でもときどき見かけるワーディングである。意外だったのはISSPに参加した30ヵ国の回答分布を見ると、明らかに回答は賛成寄りに偏っていて、“Strongly agree”も少なくないということ。日本ではもちろん賛成する人が多いが、30ヵ国の平均で82%の人が賛成側の選択肢に回答しているので、収入格差が大きすぎると考えている人の割合はかなり多いということになる。不平等主義への信奉が篤いとされるアメリカでさえ収入格差が大きすぎるという意見が多数派になっている(66%)。大きすぎると考えている人が少ないのは北アイルランドやオランダ、キプロスといった国だが、それでもやはり過半数の人は、社会における収入の格差は大きすぎると回答している。

 収入格差に対するこのような国ごとの評価のちがいを生み出している要因を、マルチレベルモデルをつかって探索するというのがこの論文の要点である。たくさん仮説が出てくるが、仮説はシンプルなものばかりである。この論文が検討対象としているような意識を分析した先行研究では、「社会主義の歴史は今なお平等への志向といった形で、人々の心のなかに残り続けている(それゆえ、旧社会主義国に居住している人は、他地域に居住している人よりも平等志向が強い)」といった主張がしばしばなされている。意識の国ごとの傾向のちがいを生じさせうるこのような国レベルのファクターを実際にモデルに組み込むことで、従来の研究で議論されてきた関係をより直接的な手続きで検討しようという意図からマルチレベルロジスティック回帰分析を、30ヵ国をプールしたデータに適用している。分析結果を見ると、収入格差の客観的指標であるジニ係数ではなく、経済的発展度をあらわすGNPの水準のほうが、収入格差評価に対して有意な影響をもつことが読み取れる(経済的に豊かな国であるほど、収入の格差が大きすぎると回答する人が平均して少なくなる)。イングルハートの脱物質主義論やベックの「古い」不平等への関心低下に関する議論を引きながら、この結果を解釈している。検討モデル中、国レベルの変数でもっとも大きな影響力をもっていたのは、支配的イデオロギーにかかわる変数であった。支配的イデオロギーは社会に不平等(収入格差)が存在することの意義・理由について聞いた質問の国ごとの平均値と標準偏差から操作化している。効果の向きとしては、不平等を許容する考え方への国レベルでの支持率が高く、また国のなかで人々が多様な意見をもっているよりは意見が均質的なほど、収入格差が大きすぎるとは考えにくくなるというものであった。

 このほかにも社会主義の歴史の影響や宗教的伝統の効果が検討されている。また、もちろん個人レベルの変数もモデル内で統制されている。自分の関心に引き付けると、不平等度(ジニ係数)よりも豊かさ(GNP)のほうが有意な効果をもっているという結果が興味深い。仮説をつくるときの参考にできそう。この論文がおこなっているような支配的イデオロギーの操作化も、やり方の1つではあると思う。個人レベルの意識に対する文化・構造的要因の影響を見ることの必要性と有効性はかなり以前からいわれていたが、文化的要因のほうはどうやって操作化したらよいのか、よくわかっていなかった。公開されているデータから操作的定義をもってくるのが難しい場合、この論文のようにデータセット内の情報を利用するというのもありだと思う。