排除型社会: 包摂型社会から排除型社会へ

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

  • 作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
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 この章の課題は以下の3点に要約できる。

  • 第二次世界大戦後の黄金期(1945年〜1960年代前半)から1960年代の後半にかけて先進産業諸国起きた変化、すなわち近代から後期近代への移行を跡付けること。
  • フォーディズムからポストフォーディズムへ」の変化を中心に、社会変化が起きた理由を探ること。
  • こうした変化の各国に個別的な状況について手がかりを得るために、ヨーロッパとアメリカを事例として取り上げ比較をおこなうこと。

 こうした考察をすすめるための準備として、まずは後期近代=排除型社会の対比物である近代=包摂型社会がもつ特徴について明らかにする。

 包摂型社会では低い離婚率と低い失業率とが男女の役割分業と物質的な豊かさの継続的な増大の基盤を形づくる。このような前提のもとで、戦後の黄金期には労働と家族という2つの社会領域がたがいに支え合いうまく機能し合う社会が成立する。包摂や豊かさ、社会への同調によって特徴づけられる社会において、若者が非行や犯罪に走るという事態は起こりそうにない。社会に反抗しようと思っても、とくにその理由が見つからないためである。

 ガルブレイスは『豊かな社会』[1962]を揶揄していた。ヴァンス・パッカードは『地位を求める人々』[1960]を風刺していた。リースマンは「他人志向のアメリカ人」を批判していた[1950]。ウィリアム・ホワイトは、郊外で暮らす『組織のなかの人間』[1960]やその妻、家族の慎ましい生活ぶりを描いていた。最後に、ベティ・フリーダン[1960]は、学校やガールスカウトへわが子を送り迎えしながら、「人生って、たったこれだけのこと?」と自問していた。

 戦後の黄金期に登場したのは、労働と家族という2つの領域に価値の中心が置かれ、多数者への同調が重視される社会であった。そのような社会が包摂型社会である。すなわちそれは、幅広い層の人々(下層労働者や女性、若者)を取り込み、移民を単一文化に組み込もうとする、ひとつにまとまった世界であった。またそれは、近代主義の社会計画がすぐにでも実現するかに思われた世界であった。(p. 22)

 このような特徴をもつ社会では、逸脱する他者が一方的に排除の対象になることはない。近代主義の視線に曝された他者は、近代主義にとって好ましい属性を欠いているだけの存在で、忌み嫌うべき「外部の敵」などではない。かれらが社会化・更生・治療の結果、「われわれ」と同じ性質をもつようになったあかつきには、問題なく社会の一員として迎え入れられることになる。

 包摂型社会において、〈逸脱する他者〉とは、次のような人々のことである。(pp. 27-8)

  • マイノリティの人々。
  • 異質で、しかもその異質さが見た目にはっきり分かるような人々。
  • 絶対的で議論の余地がない、明確な価値観をもたない人々。実際、自分の価値観を疑うということは、まだその人が成熟しておらず、感受性もはぐくまれていないことの証しとみなされる。
  • 「われわれ」に脅威を与えるというよりも、「われわれ」の存在を支える役割を果たす人々。私たちは、同じ価値観をもたない人々の不安定な姿をみることによって、自分たちの価値観の正しさを確信する。
  • 同化や包摂の処置を必要とする人々。この場合、刑罰と治療のための言説は、他者を統合するための言説である。犯罪者は「社会に借りを返し」て、社会に復帰しなければならない。麻薬常習者は、治療を受けなければならない。道を踏みはずした10代の若者は、暖かく迎えてくれる社会への適応方法が叩きこまれなくてはならない。
  • 他者を締め出す障壁の前で立ちすくむ人々。ただしその障壁には透過性がある。近代主義者は、文化的手段を通じて社会化されていない人々を社会化していく。

 包摂型社会を支える生産/消費様式の特徴は、フォーディズムに集約される。フォーディズムが前提とする社会について、ヤングは次のように記述している。

 標準化された製品が大量に生産され、男性の完全雇用がほぼ達成され、製造業部門が膨張し、巨大な官僚制ヒエラルキーが出現し、正規雇用市場において仕事の将来性が約束され、定型的な出世コースが確立され、仕事の部署が明確に区分され、国家がコーポラティズム*1を推し進め、画一化した消費財が大量に消費されるような社会である。そこでは、労働世界と、余暇と家族の領域が表裏一体の関係にあった。……家庭に画一化された商品がどんどん入り込み、それらの商品が個人の成功度を測る指標となり、経済の安定的な拡大を示す証拠になった。(pp. 30-1)

 以上が包摂型社会の定義とそこにおける犯罪者・逸脱者への人々の眼差し、さらにはそうした社会を支える生産様式の大枠である。これらの条件が揺らぐことで近代から後期近代への移行が生じ、包摂型社会は排除型社会へと変貌を遂げる。「すなわち、同化と結合を基調とする社会から、分離と排除を基調とする社会への移行である」(p. 30)。


 排除型社会においては既存の労働秩序が崩壊する過程(労働市場の変容)とコミュニティが解体される過程(個人主義の台頭)という2つの過程を経て、それぞれの過程に特有のあり方をともないつつ排除が進行していく。こうした変化を引き起こした根本的な原因としてヤングが指摘するのは、フォーディズムからポストフォーディズムへの移行という市場における諸関係の変化である。

 まず、既存の労働秩序がポストフォーディズムから受けた影響から検討する。

 ポストフォーディズム市場経済で生じる分かりやすい形態の排除は、労働市場からの排除あるいは働き方の不安定化とでも呼ぶべき過程である。経済活動のダウンサイジングにより正規雇用市場が縮小したことで、構造的な失業状態に置かれたアンダークラスが出現した。ある試算によれば終身雇用の安定職に就く人々はすでに人口の40%まで縮小しており、残る半数以上の人々は不安定な非正規雇用の仕事に就くか、最低賃金の仕事で飢えを凌ぐかしかない状況に追い詰められているという。

 もっともポストフォーディズムの状況下では、正規雇用の仕事をもつ人々の生活も以前ほど将来にわたる安定性を約束されたものではなくなっている。経済活動のダウンサイジングは製造業における「リーン生産」*2化を余儀なくし、その結果、労働の単純作業化と雇用の柔軟化がすすんだ。製造業に代わり産業の中心に位置するようになったサーヴィス産業においても、事態は楽観的ではない。銀行業や通信業、保険業などではコンピュータ・ソフトの導入による「業務の効率化」がすすみ、企業における下級管理職やホワイトカラー層のポストが減少した。ポストフォーディズムへの移行を経験した社会では、「安全圏にいると思っていた人々も、不安定性の感覚に悩まされる」(p. 33)ことが珍しいことではなくなっているのである。

 労働市場から排除された人々と、労働市場に参入していながらも安定性の保証を欠く人々という分断状況は、各々のカテゴリに属する人たちに“二者二様”の剥奪感をもたらす。そして剥奪感の先にあるものは一方では犯罪の増加であり、もう一方では犯罪に対する厳罰主義の隆盛である。

排除が誘因となる剥奪感
労働市場から排除される一方で、消費者としての欲望は常に刺激される状況は、人々に強い相対的剥奪感を植え付ける。経済的な市民権と社会的な市民権の双方をはぎ取られた人々が、労働市場にいる人々と自己とを比較することで、相対的剥奪感を抱くようになるという過程に不思議な部分は何もない。市場に包摂されている人々と同様の期待をもちながらそれを実現する手段はもち得ないという悪夢を解消するために、かれらがとる最後の方法が犯罪行為である。
包摂が誘因となる剥奪感
労働者として市場に受け入れられている人々もまた、排除された人々とはちがった種類の剥奪感をもっている。かたちの上では労働市場に包摂されてはいるもののたえず不安定な状態にとどめ置かれているかれらは、自分よりも劣る人間が自分よりも苦労の少ない生活をしている様子を目にすることで欲求不満を覚えるようになる。さらにそうした人々の「報酬が不道徳な方法で得られていて、他方で立派な市民が犯罪の被害にあっている」(p. 36)と感じられるとき、かれらの剥奪感はいっそう掻き立てられる。不安定な中間層が抱くこうした剥奪感は、法を犯すものに対する厳罰化の要求として表出する。

 「下向きの視線」により剥奪感が生じるという後者の過程は、後期近代に特有の現象かもしれない。とはいえ、排除型社会に生きる労働者が「上向きの視線」が引き起こす剥奪感と無縁だというわけではもちろんない。このような社会において中間層が感じている苦々しい思いを、ヤングは次のように表現する。

 かれらは、底辺には自分たちにたかり漁る連中がいて、頂点にはいかがわしい連中、すなわち、信じられない額のボーナスや報酬を得ている経営者や実業家がいると思っている。かれらは、底辺の人々を、競争もしないで、ただの施し物を浪費するだけの連中とみなし、特権階級の人々を、「勝者が独り占め」の不公正文化の主役、すなわち評価や能力の裏づけもなしに報酬がバラまかれるような文化から恩恵を得ている連中とみなしている。これこそが「不満のレシピ」というものである!(p. 36)

 続いて、ポストフォーディズムがコミュニティの解体に与えた影響について検討する。労働市場の変容がポストフォーディズムによる生産様式の変化に由来するものであるとすれば、コミュニティの解体は消費空間の変化としてとらえることができる。フォーディズムからポストフォーディズムへの転換により、大規模な計画にもとづいて生産された商品を画一的に消費するようなモデルは有効性を失った。代わってあらわれたのは、あらゆる可能性が陳列された巨大な百貨店であり、そうした商業空間において個人は多様な選択肢の中から刹那的な満足と快楽を得るための商品を自由に選び取ることができるようになった。個人主義化した消費社会において自己実現アイデンティティの構築を目指してふるまう人々の行動は、多様なライフスタイルと下位文化を生み落していった。

 流行という札の付いた習慣、外観、感覚が売りに出されたバザールを前にして、果てなき自己表現を追い求める個人は、自発的にこの新たな個人主義へと傾倒していく(「選択することはいいことであり、自由には無限の可能性があり、伝統には価値がない」(p. 41))。ここにおいて自己表現への期待は青天井となり、物的世界における満たされない欲求と並び、後期近代において相対的剥奪感を生み出す源泉の1つとなる。しかし、ここでより重要なのは、こうした個人主義が最終的に行き着く先に私的におこなわれる他者の排除があるという点である。

 消費者の好みは一致しなくなり、ライフスタイルはたえず変化し、多種多様化していく。そのようにして人間の創造性が解放されると、自由と進歩への可能性が生まれる反面、そこで生じるさまざまな意図が互いに衝突し妨害しあうという事態が生じる。下位文化も互いに対立するようになり、多様性が多様性を妨げるようになる。……こうした対立が犯罪を引き起こすこともあるが、より一般的には、他者の行為を制限する風潮が広まるようになる。(p. 43)

 具体的な例としてヤングはストリート・ギャングによる他者の攻撃と、家庭内で女性に対する暴力が生まれる過程を指摘している。

ストリート・ギャングによる他者排撃
製造業のダウンサイジングのあおりをもっとも受けたのは沈滞した工業地帯の工場で働いていた若い男性の不熟練労働者だった。労働市場から締め出されたかれらは仲間からの尊敬を得るために、かれらがもつ唯一の資源である体力を元手に、「男らしさ」に価値を置く下位文化を創造するようになる。ストリート・ギャングの結成はそうした下位文化の具体的な発現形態の1つである。こうしたストリート・ギャングは従来の支配層のもつ文化に反抗的な態度を示していくが、同時にかれらは(自分たちと同じ)弱い立場にある他者をも攻撃の標的に定めるようになる。これは身体的な頑丈さや強さを最大の美徳とするような価値観を中核に、かれらが自分たちの下位文化をつくり上げていることと密接に関係している。こうして、「かれらは女性差別主義者であり、人種差別主義者であり、露骨なインテリ嫌いになっていくのである」(pp. 44-5)。このような他者の攻撃や追放にもとづく排他的・排除的なやり方による自己アイデンティティの形成の結果、今度は自分たちが他者から排除され追放される側に回ることになる。ここで注意が必要なのは、ストリート・ギャングに身をゆだねる若い男性自身が、もともと社会的排除の犠牲者(正規雇用の仕事が減少した結果、生まれた構造的な失業者)だったという点にある。すなわち、すでに排除されているものが暴力や犯罪に手を染めることで社会的なスティグマを背負い込むようになり、問題がどんどん悪化していくという過程がここでは進行している。「そこにあるのは、逸脱者がますます逸脱の度合いを高め、周縁化されていく排除の弁証法とも呼ぶべき過程である」(p. 45)。
家庭内における暴力の頻発
戦後最大の構造的変化は、女性が労働市場やレジャー、政治、芸術といった広範な領域に公的に参加するようになったことである。その一方で、家庭や職場における男女間の平等が実現したとはいえないのも事実である。そこにはいまだ深刻な男女間の対立の根が潜んでいる。現代社会をとらえるうえで重要度が高いのは、平等を求める女性の期待が男性支配を脅かすことで対立が激化するような状況である。もはや家父長制的支配が素直に受け入れられる時代ではなくなり、これまで家庭内で女性を差別したり周縁的な地位に追いやったりしていた男性の権力は、急速に正当性を失っている。しかし男性による支配が抵抗にあい、その正当性が崩れつつあるからこそ、暴力が頻発する。女性に対するドメスティック・バイオレンスが全暴力事件の40%にも及ぶという報告があるほど(ジェーン・ムーニー[1996])、平等を求める個人とそれを阻もうとする個人との対立から生まれる暴力が家庭内に吹き荒れているのである。

 経済的な不安定と過激な個人主義、さらに交通手段の発達による空間的・物理的距離の短縮、マスメディアの働きによる多様な社会の情報の流入、移民の増加により、個人をいっそう不安にさせる社会状況が出現した。多元主義的な社会の誕生である。

 それは、選択可能性が高まったこと(消費の機会と雇用の柔軟化への要求が増大したことによる)、信念や確実性がつねに疑われるようになったこと、自己反省が強まったこと、はっきりした人生コースが消失したこと、社会の多元化がさまざまな信念のあいだに葛藤を引き起こすようになったこと、などである。このような状況から、存在論的な不安とでも呼ぶべき感覚が生まれる。そこでは、自己のアイデンティティが一貫した人生に根ざしたものではなくなり、私たちの確実性の感覚に脅威やリスクが侵入することを食い止めていたはずの防壁もなくなった。正常と異常の区別も、その基準となっていた絶対的な価値観が相対主義的な価値観に包囲されることによって、もはや失われてしまった。(pp. 48-9)

 生産と消費の様式が変わり犯罪が増加した後期近代では、逸脱に対する人々の解釈の枠組みも大幅な変更を迫られている。

 近代社会において〈逸脱する他者〉というのは、広く共有された絶対的価値観とは反対の存在であり、明らかに異質なマイノリティとしてあった。共通の価値観をもたない少数者たちは、社会にとって脅威であるというよりも、むしろ少数であるがゆえに社会を統合する役割を果たす存在であった。しかし、現代の後期近代では、〈逸脱する他者〉はどこにでもいるようになった。……現代においては、異質性がはっきりと目に見えるような他者などどこにもいない。さまざまな文化も多元的であるだけでなく、境界線がかすんでぼやけ、互いに重なりあって融合している。(p. 50)

 このような状況にあっては、もはや逸脱に対して寛容な態度ではいられなくなる。逸脱を定義する絶対的な価値基準は消え去り、誰もが潜在的な逸脱者となり、安全な場所と危険な場所との境い目も曖昧になった。犯罪に対する不安から自分たちの生活を守るための(あるいは自分たちが逸脱者として排除されることを回避するための)最後の方途として、人々は自分の属する集団の価値観を妄執的に信奉し、罪のない人々を一方的に糾弾しスケープゴートに仕立て上げる傾向を強めていく。

 存在論的な不安から逃れるため、人々は安定した土台を築こうと躍起になる。そして、自分の価値観を絶対的道徳としてふたたび振りかざし、ほかの集団を道徳的な価値観が欠如していると攻撃し、美徳と悪徳を明確に区別し、柔軟な判断を止めて強引に決めつけ、混じりあい同化するよりも懲罰的で排他的な道を選ぶようになる。こうしたことが社会構造のさまざまな部分において、いくつもの形態をとって現われる。……こうしたプロセスの現われとして、ブラック・ムスリムや、移民コミュニティにおける原理主義、あるいは極右に共鳴する人々の露骨な伝統主義を挙げることができる。かれらは、極端なかたちで過去の価値観に傾倒することで、自分たちが排除されることに抵抗する。すなわち、現在の不安から逃れるために空想的なナショナリズムをでっちあげ、紋切り型の、あるいは空想上の過去のイメージを模倣する。(pp. 50-2)


 分断化され犯罪化した世界は、排除する側(「中心領域」)とされる側(「外集団」)、そしてそれらを分かつ境界線(「防疫線」)という部分から成り立っている。しかし、〈逸脱する他者〉がつくられる過程は西ヨーロッパとアメリカ合衆国とのあいだに重要な違いがある。その違いは2つの世界における市民権に対する人々の信念体系の違いに由来する。最後にこの問題について確認しておく。

機会の平等
アメリカにおける市民権の概念は社会的平等よりも形式的平等(法的・政治的な平等)に力点が置かれる。すなわち、機会の平等という理念である。このようなイデオロギーが強い排除的性質を帯びることを想像するのは、けっして難しくない。すべての人々は能力主義にもとづいて競争に参加する機会をもっているという前提に立つ以上、競争の敗者が報酬を手にすることができない原因はかれの能力不足に帰せられることになる。つまり、競争に敗れた責任は自分自身で背負うしかないのである。
包摂される権利
一方、戦後体制のもと福祉国家としてスタートしたヨーロッパの多くの国では政治的市民権と同じくらい、社会的市民権が重要なものと見なされていた。競争への参加者が自己の能力に応じて報酬を獲得するという部分はアメリカと同じだが、たとえ競争の結果、最下位になった場合でも、基礎的な暮らしを送るのに必要な財は保障される。包摂される権利を重視するタイプの社会では、競争の敗者が生まれる要因は個人の責任ではなく、システムの失敗にあると考えられている。

 極端な排除型社会であるアメリカを際立たせている仕組みが、経済的排除と地理的排除を重ねることで排除の増幅をもたらす都市設計のあり方である。

 合衆国においては経済的排除は仕方ないことと考えられているが、それは、露骨な社会的・空間的排除によって支えられている。シカゴ学派が描いた有名な「同心円地帯」*3は、経済的排除と社会的排除がぴったり一致していることの証しである。しかもこのような垂直方向の隔離は、いっそう露骨な水平方向の隔離によって強化されている。そこでは、同じくらいの豊かさのコミュニティでさえ、互いに隔離しあっている。(p. 68)

この点に関する欧米間の違いについてのヤングの見解は以下のようなものである。

 これまでアメリカが採用してきた政治的・社会的政策は、無際限の郊外化や都市からの人口流出、都心部の荒廃などを許容する類のものであった。このような政策は、ヨーロッパではほとんどみられないものである。アメリカ的な隔離政策を採用しなければ、アンダークラスの人々を限られた空間に押しこめることも起こらないし、日常的な基準が通用しないような社会環境が大規模に発生することもないだろう。ヨーロッパでは全体として、アメリカほどスケールの大きな空間的・社会的排除は、いまだ生じていない。(pp. 69-70)

*1:重要産業を国有化するのではなく、産業の大部分を私企業に任せたまま、国家がその活動を管理するという国家統制のあり方(p. 31)。

*2:「贅肉のないlean」生産とは、少品種大量生産を目的とする従来のフォード型生産体制とは異なり、多品種少量生産を効率的に実現するための新しい生産体制のことで、トヨタ自動車の生産方式をもとに90年代の欧米で提唱された(p. 33)。

*3:都市・家族・スラム等を調査したシカゴ学派のひとりバージェスが仮設した、都市における土地利用上の階層構造(p. 68)。