排除型社会: 後期近代における犯罪と不協和音

 この章の目的は後期近代における生活領域のさまざまな部分の変化と連動して、犯罪と犯罪被害のとらえ方が変化し、科学としての犯罪学そのものが変わっていった様子を考察することである。「犯罪学の発展を理解するには、犯罪学を、アカデミズムの外側にある実際の犯罪問題という文脈のなかに、とりわけ犯罪発生の規模や分布、その時代の政治・社会情勢のなかに位置づけなければならない」(pp. 91-2)。

 ヤングは犯罪学が直面した危機を、近代の危機としてとらえる。近代のパラダイムに対する挑戦と、そこから巻き起こる激しい論争は、犯罪と犯罪から生じる不安をめぐる議論のなかにこそ、もっとも鮮明にあらわれるためである。

 犯罪学が直面した危機は、近代の危機そのものである。社会に起こる問題の統制と調整のために法を執行すること、そして正当な社会秩序を管理するために政府が介入することは、近代という理性と進歩を追及する企てにとって2つの大きな支柱であった。……18世紀の啓蒙思想と19世紀の科学革命によって、犯罪学の主な2つのパラダイム――古典主義と実証主義――が遺産として残された。……犯罪が明確に定義され、刑事司法制度が犯罪統制において中心的な役割を担い、政府の介入によりすべての市民の社会契約が可能かと思われたが、どれも疑わしいものになった。このような変化は、当然にも犯罪学という学問の外からもたらされたものであるが、他方では、犯罪学の研究成果や知的潮流によってそのような疑問が増幅され、疑問が疑問を生むことにもなった。これと同じ経緯は、社会政策のあらゆる領域にみられるとはいえ、犯罪学にもっとも劇的に現われている。(pp. 87-8)

 新自由主義ポストモダニズムという2つの知的潮流が「歴史の終わり」を告げるために登場した。「前者は、政府の政策を効率よく遂行するために、かつての自由放任主義を復活させることを主張する。後者は、将来のポスト産業社会を想定して、そこでは啓蒙思想のなかで信じられていたものがすべて通用しなくなると主張する」(p. 88)。

 「社会主義」国家が崩壊し、政府の計画によって社会進歩を図るという〈大きな物語〉の破綻が明らかになると、新右翼は、社会計画に代わるメタ・システムとして市場原理を採択するという政治的回答を提起した。新右翼の市場哲学においては、犯罪の原因としての不公平な社会も社会的連帯の契機としての正義と公正の感覚も必要のないものである。その世界には「利益への誘惑」と「犯罪をおこなう機会」しか存在しない。そこで問題になるのは犯罪行為から引き出される利益と損失の収支の計算であり、計算の結果が黒字になればいつでも犯罪に手を染めるような利己的な行為者が想定されている。

 ポストモダニズムが犯罪学に与えた影響に関しては、1960年代のラベリング理論の登場にその萌芽を見出すことができる。ラベリング理論は「何が犯罪か」という問題について予断を許さず、リアリティの定義が複数の主観によって社会的に構築されていく過程を重視する。さらにラベリング理論は国家が悪に関する〈大きな物語〉を引き合いに出して、個人の生活に介入することを批判していた。そういう〈大きな物語〉がしばしば本質主義に陥るという誤りを犯しているだけではなく、実際に予言の自己成就的な効果をもちうるということも批判していた。


 ここからは近代主義的な犯罪学の理論に挑戦を突きつけることになった、具体的な要素について検討していく。

 人々の犯罪に対する見方を変え、刑事司法制度を再構築させた原動力は、何よりもまず犯罪発生率の上昇という現象である。犯罪発生率の上昇は近代社会を支えていた社会的実証主義の理論を打ち砕いた。西側諸国において完全雇用が実現し、生活水準は史上最高のレヴェルに達し、福利厚生も広くいきわたっていた時期(1960年〜75年)に犯罪は増加した。このため劣悪な社会的条件が犯罪を生み出す、という社会的実証主義の理論では犯罪をうまく説明することができなくなったのである。社会的実証主義を非難する右派の立場からは、犯罪の原因を社会ではなく個人に求める個人主義実証主義が登場した。それに対して左派は犯罪発生率の上昇は犯罪に対する政府とマスメディアの反応がナイーヴになり、それに応じて犯罪に対する社会的不安が広がっていることの比喩に過ぎず、実際に犯罪や逸脱が増加しているわけではないという反論を展開した。

 近代社会の支柱を支えた社会的実証主義は揺らぎ、それは次の2つの点から崩れていった。(p. 96)

  • 1つめは、社会状態が広く改善されたにもかかわらず犯罪が増加したという事実によって、最下層の人々、……から犯罪が起こるという社会的実証主義の説明が、もはや通用しなくなったことことである。
  • 2つめは、犯罪発生率の数値そのものの意味が問われるようになったことである。かつての犯罪発生率は明確な一定の数値であり、政府が不十分ながらも立ち向かわなければならない数値であった。しかし、今日の犯罪発生率は明白に確定された数値ではないし、しかもその数値は刑事司法制度を支配する人々の既得権益を守ろうとする行為によって、あるいは大衆の「ヒステリー」によって上昇するとみなされるようになった。

 近代主義のもう1つの柱であった古典主義のほうも、犯罪の増加によって脅かされている。犯罪が増加している西側世界のどの政府も、犯罪を統制するために膨大な資金を刑事司法制度へ投入した。それにもかかわらず犯罪発生率の上昇は止まることを知らず、刑事司法制度の能力が犯罪の増加に追いつかなかったことは明白な事実となった。こうして犯罪学者の多くは刑事司法制度を犯罪に取り組むための唯一の城塞と見なす立場を離れ、市民社会のさまざまな制度の働きにもとづくインフォーマルな犯罪統制のシステムへと、かれらの関心を移していくことになった。

 1960年代にアメリカでおこなわれた犯罪被害調査により、犯罪にはかなりの「暗数」があることが実際に示されることになった。この調査では実際に起きた犯罪のうち、その1/3程度しか警察に通報されないことが明らかにされている。こうした暗数の存在は人々が犯罪被害に遭う危険性が(実際の報告以上に)広域的に広がっていることを示す1つのバロメータであるが、犯罪の種類により暗数が異なるという事実が、犯罪学の伝統を揺さぶる一因となっている。一般的に窃盗に比べて暴力犯罪や性犯罪は、警察や犯罪被害調査において申告される割合が低い。さらに暗数は被害者の種類によっても異なり、被害者が社会的弱者である場合や、犯罪が私的な領域で発生する場合、その犯罪は表に出にくいものとなる。

 このように犯罪には「表に出た犯罪」「表に出ない犯罪」があることを踏まえると、犯罪学の従来のパラダイムはその有効性をことごとく失ってしまう。

 犯罪はこれまで信じられていた以上に頻繁に発生している。加えて、私たちがもっとも凶悪な犯罪とみなしている暴力犯罪と性犯罪では、統計において発生率がとりわけ少なく見積もられており、実際には私的で親密な関係で数多く発生していることが見すごされている。(p. 100)

犯罪の発生が社会の「常態」で、どこでも起こりうるものであるならば、その原因を特定の社会集団や下層階級にのみ帰することは難しくなる。こうして、犯罪の発生に対して社会的実証主義の理論がもっていた説明力は大幅に低下する。さらに、私的利益を追求する個人の行為が公共化される場として家族という単位を想定していた新古典主義の立場も疑問を付されることになる。新古典主義では、個人の利益を脅かす存在は家族の外部からやってくると考えられていた(だからこそ犯罪者は「よそ者」と見なされる)。しかし、ドメスティック・バイオレンスやレイプ、殺人、児童虐待が(家族を含む)親密な領域で生じるという事実が明らかになるにつれ、そのような近代主義の確信は覚束ないものになっていった。

 犯罪学の外部から、「表に出ない犯罪」の存在を告発し、犯罪に対するわれわれの認識に大きな修正を迫ることになった運動が、フェミニズム研究の発展である。1960年代以降のラディカル・フェミニズムは、家父長制家族において女性を支配するための行為の中心に女性への暴力があるとして問題にした。こうしたフェミニズム研究の分析により、これまでに表に出ることがなかった暴力犯罪における女性の被害者の存在が、次第に明らかになっていったのである。

 暗数や「見えない被害者」の問題と関連しつつも、いっそう厄介な問題へと私たちを巻き込んでいるのが、犯罪学の内外から生じつつある「犯罪とはなにか」という定義をめぐる疑問の提起である。近代主義においては、犯罪は家宅侵入や暴行、車の窃盗のような誤認しようのない客観的な事実として存在していた。ところがラベリング理論が発達した1960年代以降は、犯罪に対するこのような正統的解釈にとって重要なオルタナティヴが突きつけられることになった。ラベリング論者にとって犯罪とは客観的な事実ではなく、社会的に構築されたものである。「逸脱は行為そのものに内在するものではなく、人々の価値判断によって行為に付与される性質である」(p. 103)。殺人やモルヒネの投与が合法的な行為と見なされるか、それとも暴力的な犯罪と見なされるかは、誰がどのような文脈でそれらの行為をおこなったか次第で変わりうる。犯罪と犯罪でないものとのあいだに明確な線を引くことは難しく、あらゆる行為は人々に容認される行為から犯罪と見なされる行為までの1つの連続体のなかのどこかに位置づけられることになる。したがってラベリング理論の立場に立つ場合、犯罪の増加という現象は2つの側面をもつことが分かる。第一に、暴力と見なされる行為は増加したのかどうか、という問題がある。そして第二に暴力に対する人々の寛容度がどう変化したか、ということも問題にされなければならない。

 ますます力を増しつつある圧力団体の運動によって犯罪や逸脱の定義が見直され、新しい社会問題が提出されていったことを踏まえるならば、犯罪の性質や規模、さらには実存性までもが激しい論争の対象になっていったことは、とくに驚くことではないかもしれない。一例としてレイプを取り上げてみたい。かつてであれば、他者による「明白」な暴力をともなう性交が実際にどのくらいあるのかということが、最大の懸案事項であった。現在はフェミニストの努力により、夫婦間のレイプやデート・レイプが広く起こっていることが「発見」され、性的関係における強制と同意の線引きの問題へと、議論の中心が移っている。こうした議論では、あらゆる異性関係はレイプという点において1つの連続体をなすようになり、レイプとそうでない行為とのあいだに本質的な区別を設けることは、かつてほど簡単ではなくなっている。犯罪とそうでないものとが連続しているという考え方は、レイプ以外にも適用することができる。実際、児童虐待ドメスティック・バイオレンスなどの領域において、これと類似した論争が起きているものと考えられる。

 犯罪が風土病のように社会に広がっていることは、ここまでに何度も指摘している。このような遍在性をもつ犯罪が、実証主義において社会の底辺に位置する集団と結び付けて論じられてきたという事実は、司法制度による犯罪の摘発に明らかな偏向性が存在することを物語っている。1970年代に入り、犯罪学の見直しがはじまり、犯罪の遍在性司法制度の偏向性が強調されるようになったが、1940年代に、すでにサザーランドが、犯罪学の前提に潜むこれらの問題性を見抜いていたことは、注目に値する。

 伝統的な犯罪学によれば、犯罪というのは階級構造の底辺に集中するものであり、とりわけ青年たちのあいだに多く起こると考えられていた。……このような教条主義的な観点を揺るがす最初の動きは、1940年のエドウィン・サザーランドの著作『ホワイトカラーの犯罪』に始まった。彼はそこで次のように書いている。(pp. 108-9)

 一般に、犯罪行動の原因は貧困にある、あるいは貧困にともなう精神疾患や社会的不適応にあると考えられてきた。しかし現在では、そのような理論をもって現実を説明することはできなくなった…そのような理論は、下層階級に偏ったサンプルが一般化されたものであり、そこではホワイトカラーによる犯罪の方は完全に無視されている。というのも、これまで犯罪学者たちは、とりたてて信念もないまま、ただ便利であることと、下層階級の人々が無知であるという理由だけで、刑事裁判所と少年裁判所からしかデータを入手しようとしなかったからである。しかし、そのような機関はおもに低所得層の犯罪者しか扱っておらず、そのため、犯罪学者たちが使用したデータは、犯罪者の経済状況に関してきわめて偏ったものであった。したがって、犯罪学者たちがそのデータを一般化して「犯罪は貧困と密接に関係する」と主張したところで、それを正しいとみなす理由はどこにもない。[1940, p. 10]

 犯罪がありふれたことであることと、犯罪の定義が恣意的であることに関するサザーランドの理解が犯罪学に根付いたのは、ようやく70年代に入ってからである。その背後には、非行問題についてさまざまな当事者からの報告が相次いだことと、権力者が関与した犯罪の摘発が増加したこととという2つの事情が関係している。いずれにせよ犯罪に対する人々の考え方が修正されたことにより、犯罪の因果関係をめぐる実証主義的な観点や、「法の前の平等」を主張する新古典主義の思想は、根本から問い直されることとなった。犯罪学が「存在論的なリアリティを失う」ことは、もはや不可避であるかのように思われる。

 犯罪の増加は最終的には、犯罪捜査と処罰をめぐる問題を引き起こす。限られた資金のなかで効率的に捜査をおこない逮捕者を挙げるために、容疑者ひとりひとりに対する個別の司法判断はきわめて杜撰なものになっていく。警察は手っ取り早く犯罪者を絞り込むために、特定の個人ではなく、そもそも犯罪を起こしていそうな集団の成員に職務質問の対象を限定するようになった。犯罪が発生したときに検挙されるのは「いつもの奴ら」ではなく、「いつものカテゴリの奴ら」というわけである。同じような「選抜」は、どのような犯罪者を刑務所に送り込むかという段階にもあらわれる。増加する犯罪者に対して、かれらを収監しておくスペースが足りないために、何らかの方法で刑務所に入れられる人間を絞り込まざるを得ないためである。凶悪な常習犯をそれほど厄介ではない犯罪者から区別することはもちろんおこなわれているが、判決の結果が司法との交渉の得手不得手や政治家や官僚からの圧力に左右されることもしばしばである。そこでは、刑罰の秩序は失われ、刑罰の重さは犯罪そのものとはまったく関係のないものに変質している。


 以上のような状況のもとで、犯罪の発生を理解し、それに対処するためのアプローチは決定的な転換を迎えることになる。もはや犯罪に関して分かりやすい動機や典型的な発生条件といったものは存在せず、犯罪者の更生や社会への再統合はまったく関心を寄せられなくなる。近代主義的な犯罪学のパラダイムは崩れ去り、新しい犯罪学へと理論的な移行を辿ることになった。政策犯罪学保険統計主義の誕生である。

 犯罪がどこにでも起こるもので「正常な」現象とみなされるようになると、犯罪の原因を探ろうとする研究にはあまり関心がよせられなくなった。新たに登場した政策犯罪学は、個人の資質から犯罪を説明する理論を公然と批判し、それとは反対に、犯罪はそもそも普遍的な状態であって、不完全な存在である人間がたまたま誤って行為した結果であると主張する[Young, 1995]。そして、犯罪を減らすために、人々に犯罪を起こす機会を与えないような障壁を設け、犯罪のリスクと被害を最小にするような予防政策を提唱する。このような観点からすれば、リスク計算に特化した保険統計的アプローチが、個人の罪状や動機に注目するアプローチよりも、はるかに適合的となる[Feeley and Simon, 1992, 1994; van Swaaningen, 1997]。……政策犯罪学は、加害者の責任という問題にも、犯罪の原因や犯罪への対処、犯罪者の更生といった問題にも、まったく関心をもたない。その関心は、犯罪が起こった後の問題ではなく、もっぱら犯罪が起こる前の問題に向けられる。すなわち、犯罪者の収監や更生は問題にせず、犯罪の抑止だけを問題にする。このような理論は、有罪判決を下された犯罪者を取りこみ、ふたたびかれらを社会に統合しようとする包摂主義的な思想とは、まったく無縁である。むしろ、それは排除主義的な理論であるといっていい。……その関心は犯罪それ自体ではなく、ひたすら犯罪の可能性に向けられ、違法であるかどうかを問わずあらゆる反社会的行為を対象とする。それは精神疾患や反抗的態度など、制度のスムーズな運営を邪魔すると思われるすべての要素を監視する。政策犯罪学は、社会の改革ではなく、社会の管理に関わるものである。犯罪を完全になくすことは最初から考えておらず(それは不可能なことだと考えている)、ただリスクを最小にすることだけを考えること、それこそが政策犯罪学の「リアリズム」である。(pp. 118-9)


 ここまで、犯罪の増加により、犯罪に対する人々の認識が変わり、犯罪学の理論も変化したことを確認してきた。したがって、次に取り上げるべきは、犯罪の増加は何によってもたらされたのか?さらに、犯罪の増加は人々の生活にどんな影響をもたらしたのか?という問題である。これらの問題に対して、すでに1章においてかなりの解答が与えられている。すなわちフォーディズムの揺らぎによる相対的剥奪感の高まりと個人主義の台頭が犯罪増加の直接的な原因となった。以下では、このような過程に影響した要因のうち経済の変化のみに帰することができない要素について考察していく。

 まずは市民権に対する要求の高まり相対的剥奪感の上昇に与えた影響について検討する。20世紀後半の1/3の時期には、労働者階級や女性、黒人、若者といったこれまで従属的な地位に追いやられていた人々によって、完全な市民権の獲得を求める活発な運動が繰り広げられた。その結果、これまでにないほど異質な人々が労働市場に統合され、人々が互いに比較しあう現実的な基盤が出来上がっていった。相対的剥奪は、このような状況から生み出される。

 機会と平等にたいする人々の期待が高まった結果、1960年代になると自由と革命が合言葉となった。……このような流れから、完全雇用と目を瞠るほどの高い生活水準が達成されたわけであるが、それでも時代の雰囲気は不満にあふれていた。そこにあったのは、誰もが平等になるとそれまで以上に小さな差異が気になるようになるという平等のパラドックスである。相対的剥奪感は、富が増大しても消えなかったし、市民権が幅広く獲得されても和らぐことがなかった。それどころか、富の増大や市民権の獲得によって、剥奪感はいっそう激しくなった。(p. 124)

 生活水準が向上した1960年代の後半に犯罪発生率が上昇したという事実は、絶対的欠乏を犯罪の原因とするような単純な欠乏理論によっては、もはや犯罪の発生が適切に説明されえないことを雄弁に物語っている。問題とすべきは、他者との比較から生まれる相対的欠乏と、それが生み出す不満である。こうした不満を「社会的に解決する手段がなければ、そこから犯罪が起こりかねない」(p. 137)。これこそが、市民権の要求と剥奪感との関係をめぐり、後期近代で生起している事態である。確かに、物質的な欠乏がある程度、解消されたとはいえるかもしれない。けれども、人々のあいだに依然として大きな格差が残されているというのも、まぎれもない事実である。自分よりも、明らかに恵まれた暮らし向きの人がいるのはなぜか。能力と見合わないような法外な報酬を得ている人がいるのはなぜか。「そこにはたんに人々が成功者と自分を比較するという静的な要素だけではなく、人々の願望がどんどん高まるという動的な要素が含まれている。……人々は自分が平等以下の扱いを受けていると思っているだけではなく、その平等の水準に満足せず、平等の水準をどんどん高めていっているのである」(p. 137)。

 相対的剥奪は確かに犯罪増加の重要な引き金となっているが、それが現象のすべてではない。もっとも致命的な結果は相対的剥奪個人主義と結びついたときにもたらされる。個人主義は部分的にはフォーディズムの凋落によって促されたが、2章でヤングはエリック・ホブズボームの『極端な時代』を引きつつ、文化的革命が演じた役割を強調する。

 ホブズボームの著作でも、時代が決定的に変わったのは個人主義が高まったためであるとされている。

 したがって、20世紀後半の文化的革命は、社会にたいする個人の勝利と考えることができる。いや、むしろこう言うべきなのだろう。すなわち、文化的革命は、かつて人間存在が社会という織物に編みこまれていた糸を断ち切ってしまった、と」。[1994, p. 334]

 個人主義こそ、都市の貧困層の不満を掻き立て、かれらの居場所を互いに闘争しあう「ホッブズ的無法地帯」にしたものであり、「社会的なつながりもなく、たんに隣りあって暮らすだけの人々からなる宇宙」[ibid., p. 341]を作りだしたものである。(pp. 125-6)

 コミュニティや家族といった前資本主義的な条件が蝕まれたことで、さまざまな社会問題が勃発した。このような見方は、お決まりのノスタルジーを呼び覚ます。すなわち地域や家族、職場に根付いたコミュニティを再建し、個人主義が駆逐してしまった集団的価値を取り戻し、バラバラになった社会をもう一度つくりなおそうという回顧主義の合唱である。しかしながらヤングは、このような見方が後期近代の時代診断としても、そこで起きている問題への処方箋としても、完全に誤りであると喝破する。

 逸脱や犯罪を統制する家族や地域社会の機能が老朽化したことで犯罪が多発するようになったという主張は、なぜ個人が犯罪に手を染めるようになるのかという動機の側面を完全に無視している。同時に、犯罪への動機を生み出す要因として社会構造自体が重要な意味を持ちうるという可能性を見落としてしまっている。さらに、よしんば社会に犯罪を統制する機能があったとしても、そのような機能を修復することが犯罪の抑制につながるという期待は、とてももてそうにない。というのも、こうした理論では社会や環境に対して個人がどういう態度をとるか、ということを度外視しているためである。個人は環境の規制に盲目的に従う自動人形ではない。実際、伝統的なコミュニティに服従し、それらに敬意を払うような態度はますます見られなくなってきているが(そして、これこそが個人主義の発現であるのだが)、これは家族の機能不全や社会化の不徹底がもたらした流れではない。20世紀のもっとも重要な社会変化の1つである伝統的紐帯の衰退を帰結したのは、反権威主義の高まりによる個人の自立に対する要求の増大である。

 多数の社会成員に共有された集団的価値が失われたことで犯罪が増加したという主張も、無条件で支持することはできない。後期近代で起きていることは、道徳的価値の衰退ではなく、その多様化である。犯罪に対する人々の態度を決定する絶対的な価値基準が通用しなくなったことは疑いえない。しかし、このことは価値に対する人々の関心が低下したことを意味しない。犯罪の定義をめぐり、いままさに人々のあいだで激しい論争が展開されていることは、すでに言及したとおりである。価値の多様化は、犯罪の増加と密接な関係をもつ。しかしその因果関係については慎重になるべきである。凶悪な暴力犯罪の発生率の上昇は、暴力に対する人々の寛容度が長期的に低下してきたことを反映しているが、寛容性の低下と併走している潮流は価値の頽廃ではなく、これまで見過ごされてきた暴力や不道徳的行為に対する人々の気づきととらえなければならない。「私たちが目の当たりにしているのは野蛮に向かう絶望的な過程ではなく、さらなる文明化への過程」(p. 142)なのである。

 したがって個人主義が犯罪の増加に与えた影響は、コミュニティの衰退や道徳性の低下といった観点から論じられるようなものではない。より本質的なのは、個人主義が価値観の多様化と自己実現欲求の高まりにもたらした帰結である。このうち後者については、物質的な欠乏から生じる相対的剥奪感が、ときとして個人を犯罪に走らせるのと同じように、個人主義のもとで自己実現の追及が称美される一方で、形式的な個人が実質的な個人になるための具体的な手段が何ら用意されないのであれば、それは犯罪や逸脱の原因となる。対して、前者については、個人主義がもたらす価値の多元化を一概に反社会的過程として断罪するのは難しいように思える。実際、個人主義には両面価値性があり、それが否定的な側面と同時に肯定的な側面も備えているという点については、注釈を据えておくべきだろう。

 自己実現の欲求は、もちろん冷酷に自己の利益を追求するような態度を生み出すこともある。しかし他方で、それは不当に扱われることに抵抗する態度を生み出すこともある。ますます高まる自己実現の欲求も、他者を犠牲にする態度につながることもあるが、他方では誰にとっても自己実現が可能となるような世界への要求につながることもある。個人のアイデンティティにすがりつく態度は、最悪の場合は目的のためには暴力をも辞さないという態度を生みだすが、他方では個人に対する暴力を憎む態度も生みだす。要するに、個人主義は二面性をもっている。その暗い側面からは犯罪と悪事が生まれ、明るい面からは新しい社会運動の主体や、環境問題に対する新しい感受性、さらに暴力を許さない態度が生まれる。(p. 144)

 社会に広く蔓延し風土病的特徴をもつようになった犯罪が、社会にもたらす帰結についても簡単に触れておく。かつて資本主義が高度な秩序を必要としたのは、「たんに完全雇用とフォード式大量生産を達成するためにそれが必要だったからである」(p. 131)。右派が主張するところによれば、ネオリベラル化した市場経済において、資本にとって周辺にいる人々に秩序を守らせる理由は、もはや存在しない。

 今日のアンダークラスの人々は社会から必要とされなくなり、かれらの労働力も不要となった。かれらに時間を厳しく守らせることも、かれらを訓練する必要もなくなった。かれらの消費欲求は相変わらず重要であるが、それも容易にコントロールできるものである。これまでアンダークラスのコミュニティで起こった病理現象(ロサンゼルスの暴動など)は政治家の頭痛の種であったが、その影響もいまや無視できるものになった。そのような現象はメディアのお祭り騒ぎにすぎず、資本とはなんの関係もなくなっている。アンダークラスの人々は、自分たちの住む地域を、自分たちの手で破壊しているだけである。……――これが、ジェームズ・Q・ウィルソンをはじめとする右派の指導的理論家たちの考え方である。(p. 132)

 こうした立場に与するかどうかは別にして、経済活動から排除された人たちの犯罪が、経済の活力にとって何ら脅威とならないことを示す証拠は確かに存在する。「ニューヨークは、世界資本主義の主導的な金融センターでありながら、その犯罪発生率は第三世界並みになった」(p. 132)。こうした社会的排除の進行と犯罪の増加が経済システムに微々たる影響しか与えないときでも、市民社会で暮らす人々の生活の質は深刻な影響を被ることがある。1章で指摘したように、犯罪の増加と不道徳な方法による報酬の獲得を眼前にして、暴力に対する人々の寛容性は低下し、厳罰主義とセキュリティへの関心は高まる一方である。現在では、多くの人々が法と秩序に守られた安全な生活環境を切望している。これは皮肉としか言いようがない。「システムにとって法と秩序が必要なくなったまさにそのとき、人々は法と秩序を求めるようになった」(p. 134)。後期近代においては、犯罪とその統制に対して経済システムと市民社会との態度がかい離するという、ちぐはぐな状況があらわれはじめている。