社会構造、システムの正当性、公正感

@incollection{agk1995,
 author    = "Alwin, Duane F. and Gornev, Galin and Khakhulina, Ludmila",
 title     = "Comparative Referential Structures, System Legitimacy,
 and Justice Sentiments: An International Comparison",
 booktitle = "Social Justice and Political Change: Public Opinion 
in Capitalist and Post-Communist States",
 publisher = "Aldine de Gruyter",
 year      = "1995",
 editor    = "Kluegel, James R. and Mason, David S. and Wegener, Bernd",
 pages     = "109-130",
 address   = "New York",
}

 International Social Justice Projectの論文集の一編。かなり久しぶりにこの種のトピックを扱った論文を読む。社会主義の体制をとっていた東ヨーロッパや中央ヨーロッパの国々では、旧ソビエト連邦の崩壊後、経済や政治のシステムが大きく変動したにもかかわらず、人々は新しい体制にそれなりにうまく適応しているように見える。こうした動きはマルクス主義や機能主義の理論によってはうまく説明できないので、人々の意識やイデオロギーを実証的に調べることで、社会体制が正当性を獲得するメカニズムを探っていこうというもの。

 旧東側の国々と旧西側の国々とでは依然として大きな意識のちがいがあり、東側の国々では多くの人が現状では収入の格差が大きすぎると評価していたり、報酬の配分がその人の貢献をきちんと反映したものになっていないと考えていたりと、経済システムの働きに対する信頼が低い。とはいえ、東側の国々でも市場経済を支持する人はかなりたくさんいるし、社会主義には圧倒的多数の人が反対しているので、体制のちがいを分断線として人々の意識がまったく異なっているというわけでもない。多くの人は資本主義の価値観を受け入れようとしているが、実際の社会がまだそれをじゅうぶんに達成できていないので、経済や政治のシステムの振る舞いに対する評価はあまり高くないということであろう。

 回答者が考えている望ましい収入の水準を従属変数とした重回帰分析では、望ましい収入の水準が実質的に回答者の収入実額で決まっている国と、そうではない国がある。後者のグループにはもっぱら旧東側諸国の国が入り、これらの国々では望ましい収入の水準は、回答者の世帯にとって「これだけは必要」という収入の水準がどの程度かによって決まっている。つまり、世帯収入が必要と思う水準に達していないので、もっと多くの収入が欲しいと考える人ほど、望ましい収入水準を多めに答える傾向がある。このような「必要原理」は旧西側の国々でも望ましい収入の水準をある程度規定しているが、標準化係数の値は旧東側の国々に比べてずっと低いものになっている。

 論文のメインの分析は望ましい収入の水準を規定している要因の国による変動を探ることで、それによって社会体制への評価プロセスが、国の制度や歴史によって異なりうる可能性を検証しようとしている。社会の正当性に対する人々の評価を議論する題材として望ましい収入水準をとりあげるという手続きには違和感があるが、社会心理学系の公正評価研究ではそれなりの理論的背景があるのかもしれない。収入実額と望ましい収入水準の相関が高い場合、それだけ人々が現状を肯定的にとらえている証拠だといわれれば、そうかという気もするし。それよりもこの分析結果が、結局、社会主義の崩壊から市場経済システムへという社会体制の崩壊と再統合の過程に対して、どのようなインプリケーションをもつのかいまいち分かりにくいという点が気にかかる。既存の理論では社会変化のプロセスをじゅうぶんに説明できないので、この論文のような分析が必要であるというのが、当初の研究動機だったはず。

 それにしても扱っているトピックが経済的不平等や政治システムに対する意識で、対象が1990年頃のヨーロッパ(+日本)となると、さすがに国ごとにかなり意識の分散がある。ISJPは国の数が12しかないので厳しいし、「旧社会主義ダミー」でけっこう説明できてしまいそうという難点があるけれど、マルチレベル分析向きのデータかもしれない。なんだか、読んでおくはずだった論文がたくさん。合宿まであと9日。大会まであと19日。