孤独なボウリング: 歴史からの教訓

 パットナムによれば、社会関係資本の衰退に対抗するためのヒントは、アメリカの過去の歴史の中に見出されるという。「金ぴか時代」(1870〜1900年)と「革新主義時代」(1900〜1915年)に起こった出来事が、それにあたる。この今からほぼ1世紀前の時代に、社会関係資本の衰退という現代のアメリカが抱えているのとよく似た問題を見つけることができるのである。

 金ぴか時代は急速な社会変化の時代であった。具体的には人口増加と都市化、産業の発展、交通・コミュニケーション革命によって、社会は「偏った」形で発展し、その副産物として道徳の低下とコミュニティの喪失、対面的接触の減少がもたらされた。このような事態に対して、コミュニティの再建によって問題を解決しようとしたのが革新主義時代である。実際、革新主義時代は米国コミュニティ史において、多くの組織が誕生するきっかけとなった時代であり、その時に蒔かれた種が数十年後に、市民参加の巨大な潮流として開花することになった。個人主義イデオロギーによって特徴付けられる金ぴか時代に対して、革新主義時代の社会目標は市民コミュニタリアンと呼ぶべきものであった。「急速な社会変化についていけない“個”」といった問題状況に対して、ただ現況を悲観するだけではなく、具体的な問題解決策を模索し、それを実践したというのが革新主義時代の注目すべき点である。

 パットナムは革新主義時代のマイナス面に配慮しながらも、この時代が現代に対してもつ教訓を読み取ろうとしている。

 おおよそ1880年から1910年の間に形成された市民社会の諸制度は、1世紀近くにわたって持続した。このわずかな間に、米国社会の自発的構造は現代的な形態を帯びたのである。……社会的、経済的変容の世紀の間、持続的に社会に奉仕することのできた組織制度の集合を作り上げたというのは小さな業では全くない。

 革新主義時代のあらゆる困難、誤り、悪行にもかかわらず、その指導者と、19世紀末におけるその直接の祖先は、社会関係資本あるいは市民参加の欠落という問題を正しく見抜いていた。1890年段階で「村にいた頃の生活はずっとよかった。みんな農村に戻ろう」と言うことは誘惑的であったに違いない。潮流を逆転させようとするその誘惑に彼らは抵抗し、その代わりにより困難な、しかし確実な社会刷新の道を選んだ。(p. 495)


 革新主義時代を反省と教訓の材料とし、現代社会の問題に対処できるような「市民的発明」をおこなうことは不可能ではないはずである。最後の24章では、社会関係資本を生み出すためのいくつかの提案がおこなわれている。


 『孤独なボウリング』は、細かいところでは勉強不足のために理解できない部分もあったが、社会関係資本理論の理解のためのとっかかりとしては最適だったと思う。社会的ネットワークと、そこから生まれる信頼性と互酬性の規範が、社会にとっても個人にとっても役に立つものだというのがパットナム流の社会関係資本理論の要点になるだろう。今後、この立場を踏まえて研究をすすめる際には、ネットワークへの所属をどのように定義するのかがひとつのポイントになってくると考えられる。とくに対面的な接触の難しいインターネット上の社会関係資本の構築といった点については、何をもって「ネットワークに所属している」と見なすのか、よく考えてみる必要があるだろう。

 また、社会関係資本理論のバリエーションや隣接領域の社会理論との関係についても気になるところである。訳者のあとがきにもあるように社会関係資本の定義も多様でありうるし、社会関係資本と「伝統的」な資本の関係についても議論の余地はあるだろう。『孤独なボウリング』では、人的資本や物的資本といった他の形態の資本に関する理論よりも、コミュニタリアンへの言及が頻繁におこなわれていたように思う。この点に関しては、本書のなかで「米国共同体主義守護聖人」たるトクヴィルがことあるごとに登場していたことからも明らかだろう。共同体主義にかかわらず隣接領域の理論についても勉強することは、社会関係資本の理論についてさらに理解を深めるために不可欠だろう。パットナム以後の社会関係資本理論の展開も興味深いが、その前に、やはりトクヴィルくらいは読んでおかないといけないのかもしれない。