多元化する「能力」と日本社会

 著者によれば今の日本社会はハイパー・メリトクラシー化した社会だという。

 ハイパー・メリトクラシー化とは、消費化・情報化と文化や価値の多様化という社会的背景のもとで、それ以前のメリトクラシーのもとで重視されていた「近代型能力」に追加される形で、意欲や創造性、コミュニケーション能力などの、より不定形な「ポスト近代型能力」が、個々人が社会を生き抜く上での重要度を増大させる現象を意味している。(p. 243)


 著者はハイパー・メリトクラシー現象を危惧している。その理由は第一に、ハイパー・メリトクラシー状況では個人のもつあらゆる特性が従来にも増して徹底的な評価にさらされるようになるため、第二に、ハイパー・メリトクラシー状況で要請される「ポスト近代型能力」の形成にとって、家庭環境がきわめて重要になるためである。

 計量分析の結果を見ると、「開かれた努力」、「対人能力」、「コミュニケーション・スキル」といった「ポスト近代型能力」に対して家庭環境をあらわす変数が有意な効果をもっているが、父職や親の学歴よりも親との会話やコミュニケーションのほうが大きな影響力をもっているようである。ただし分析に使われている家族環境の変数は本書のなかで一貫しているわけではなく(使用する変数の選択についてもあまり論じられていない)、また「ポスト近代型能力」の指標もたくさんあるため(だから「多元化」なのだが)、「出身階層→ポスト近代型能力→多元的な社会的不平等」といったストーリーが、データ分析の結果からよく読み取れるとは思えなかった。が、それぞれの概念をもっと洗練させていけば、面白い議論になる素地はあると思う。