コミュニティ――安全と自由の戦場

コミュニティ 安全と自由の戦場

コミュニティ 安全と自由の戦場

 読んでみた。グローバル化によって、すべての人間に移動の自由という権利が与えられたが、同時に個人の原子化が進み実存的不安が生まれた。不安への対処として、安全や防衛を追及するための均質的なコミュニティは、不安の真の原因から人間の目を逸らさせるだけで、かえって事態の悪化をまねいている。論述の基本的な構成は『リキッド・モダニティ』と変わらない。差異に寛容ではあるが無関心でもある多文化主義と、討議を通じた権利調整によって可能になる人間性の共有や公正な配分への関心との間の、大きな隔たりについての記述は興味深いものがあった。

 以下の部分には、流体的近代にあって可能なコミュニティのあり方と、実存的不安の克服について、バウマンがどう見ているのかが凝縮されている。

 コミュニティが、真に重要な戦場において、今日の原子化した社会の病理と真っ向から対決しようとするならば、思い起こすべき課題が二つある。それは、権利上の個人の運命を事実上の個人の能力に作り替えるのに必要な資源の平等化と、個人的な無力や不幸に対する集団的な保証の構築の二つである。(p. 203-204)


 もしコミュニティが、諸個人が構成する世界で存在しようとするならば、それは分かち合いと相互の配慮で織り上げられたコミュニティでしかありえない(し、またそうでなければならない)。それは、人を人たらしめる平等な権利や、そのような権利の上で人々が平等に行動しうることについて、関心や責任を有するコミュニティである。(p. 204-205)