軽量で液体的であること

リキッド・モダニティ―液状化する社会

リキッド・モダニティ―液状化する社会

 バウマンは物質の状態として、液体や気体がもつ性質である「流動性」に着目する。時間に抵抗力があり安定した状態である「固体」に対して、「液体」は時間の流れとともにその形状を変化させていく。さらに液体は「重量が少ない」ため、簡単に、そして速く移動することができる。このような「流動性」と「軽量性」とが、近代史の現段階の性質をつかむうえで適切な比喩になると、バウマンは考えた。

 ここで、「堅固なものの融解」という液状化のプロセスは、いまに始まったことではなく、近代の一般的な習慣だったのではないか、とする反論が予想される。これに対してバウマンは、こうした反論は正しいが、これまでの近代では、古い固体を、新しい、より永続性をもった別の固体へと置き換えていく過程が重視されていた点を見過ごしてはならないと指摘する。堅固なものから現実を解放することが、ただちに堅固なものの存在しない新しい世界の到来を意味するわけではないのである。その一例が、経済活動から伝統的忠誠心や習慣的権利を切り離すことで可能になった、経済を中心とした新たな秩序の確立である。

 堅固なものの破壊と再構築によって特徴づけられる従来の近代に対して、近代の新しい段階では次のようなことが起こる。選択されるべき「秩序」の内容が不透明で、選択肢を現実のものとする方法も不明確なため、全体としての秩序は硬直する。そこでは個人は体制によって抑圧されているのではなく、逆に個人の選択・行動の自由を制限する一切のものが消えてなくなっている。個人の自由が増大したことによって、かえって適切な秩序の選択がおこなえなくなり、全体的秩序が硬直するという逆説が今日的状況である。

 このような状況のもとで、不完全な秩序を取り除き、新しい秩序を確立するような行動はなされていない。近代の特徴である「堅固なものの融解」も矛先を変える。その新たな目標となるのは、「集団的な事業や集団的な行動において、かつて、個人個人それぞれの選択を結んでいたつながりである――個人的生活と、集団的政治行動をつなぐ関係と絆である」(p. 9)。この背景には、秩序や体制を政治問題化する力の崩壊がある。

 今日の社会においても、個人は完全な無から生活を形作っているわけではない。ただし、あらかじめ定まった決め事や形式といったものをあてにすることができなくなっている。個人は自らの課題に照らし合わせて、範型や形式を作っていかないといけない。しかも、作るのに失敗したときの責任も、すべて当の個人に帰せられる。すでに述べたように液状化の力は体制や政治といったものから、より個人の生活に密着したものへと標的を変えつつある。いま、融解される順番をむかえているのは、相互依存の範型と形式である。

 以上のような近代化の流れを踏まえたうえで、本書の目的は以下のようになる。

 体制が遠い、手のとどかない存在となり、構造化されていない、流動的な生活政治が前面にでてきたことで、人間的状況は激しく変動した。そうなると、かつて、人間的状況を語るために使われていた古い概念も、再検討を余儀なくされる。……こうした概念は、……新しい形態をとり、変身することによって、……復活可能なのかどうか、……あるいは、復活できないのならば、いかに立派で、正式な葬儀をだしてやるかが問題なのだ。(p. 12)


 バウマンの近代観(と現代観?)についても少し。

 近代は空間と時間が現実生活から分離し、空間と時間がおたがいから乖離され、それぞれ独立した思考と行動の範疇になったときにはじまったといえる。また、空間と時間が生活上の区別できない要素ではなくなったとき、一対一の絶対に安定した対抗関係でなくなったとき、近代は開花したともいえる。(p. 13)


 どういうことか。バウマンは時間と空間の関係を「時間の進化」という概念でとらえている。移動技術の進歩によって、一定時間に「征服」することができる空間(距離)は飛躍的に増大した。より速い速度での移動が可能になることで、これまでと同じだけの時間が与えられても、より遠くへ行き、より多くのことをすることができるようになった。時間は空間から自由になり、空間を支配するようになる。このとき、時間を掌握することは、近代的権力と支配の道具を所有することと同義となる。その最たる例が、パノプティコンにおける、監視者と囚人の関係である。

 ただし、パノプティコンにおける監視者も、監視という目的を果たすために、「場所」に拘束されているという点で、権力の形態としては完璧ではない。監視者は「時間の規則化」という特権をもってはいるが、囚人を監視する場所から自由に動けるわけではない。

 いまや、電子・通信技術の発達によって、権力の執行は真に空間的制約から解き放たれた。携帯電話さえあれば、どこにいようと関係なく、一瞬にして命令を発することができる。監視あるいは支配のために、ひとつの場所に居続ける必要はもはやない。このように、権力者が誰の手にもとどかないところまで逃げていくことを可能にしながら、権力の行使に要する時間はほんのわずかであるという状況が、近代史における現段階の大きな特徴だと、バウマンは見なしている。


 堅固なものが崩壊されたままに置かれるという流動的状態が、そもそもなぜもたらされたのかについては序文を読んだだけではわからなかった。いま突き崩されつつあるという社会関係、人と人との絆についての論の展開も気になるところ。