リキッド・モダニティ: 解放

 人間のおこないを邪魔するあらゆるものから人間を「解放」し、自由を獲得することが近代の大きな目標だった。自由は獲得されたが解放は終わっていない。今日の個人は「形式上の個人」であって「事実上の個人」ではないためである。前者が後者へと変わるためには、個人が公的な問題に関心をもつ「市民」にならないといけない。批判理論が徹底的に批判してきた「全体性」や「公」を、「私的領域」による侵食から保護する必要がある。私的問題を公的問題へと変換すること、私的関心の総和以上に凝縮された公的関心を作り出すこと、「生活政治」という私的ユートピアを集団化し「正しい社会」の展望を取り戻すこと、批判理論の今日的課題はこれである。

 上記は『リキッド・モダニティ』1章のだいたいの内容である。「個人化」の問題と向き合うためにバウマンにとって必要なことは、連帯や他者との協力ではなく、個人が公的な問題に関心をもつこと、であるようだ。公的領域の拡大によってはじめて、人間は自立した個人になれる。したがって批判理論の仕事は、私的領域の現状を批判することで形式上の個人と事実上の個人とを橋渡しすることに目を向けるものでなければならない、というのが1章のポイントだろう。自由についての議論は分かりやすかったが、批判理論との関係を読み取るのに苦労した。もう一回読んでおいたほうがよさそう。

追記

 批判理論が批判してきた近代の変化を中心に。

 現代社会に特有の批判はオートキャンプ場に訪れる客の不満のようなものだという。客はサービスに満足がいかないとき、苦情を言い料金の払い戻しを求める。しかしかれらがキャンプ場の運営哲学に口を挟んだり、その見直しを迫るようなことはない。これに対して、現在とは別種の近代が抱えていた古典的批判理論は、解放という目的を色濃く反映した「生産型の批判」だった。アドルノとホルクハイマーによって完成された古典的批判理論が攻撃しようとした時代は、次のようなものだった。

 古典的「批判理論」時代の重厚で、固体的、凝縮的、体系的な近代は、全体主義的傾向をはらむ。この時代の地平には、包括的、強制的均一性を特徴とする全体主義社会が、究極の目的地であるかのように、……不気味に迫っていた。この近代はまた、偶然性、多様性、曖昧性、不規則性を不倶戴天の敵とし、これらの共通する「変則性」に撲滅の聖戦を挑んだのだった。そして、聖戦貫徹のために、主として個人の自由と自立とが犠牲とされた。(p. 34)


 全体主義、均質主義、均一主義から人間を解放し、その手に自立と自由をえさせようとするのが、批判理論の主要な目的だった。批判理論が批判対象とした社会といまの社会とは「違った意味で近代的」だというだけで、どちらも近代的であることに変わりはない。100年前の社会といまの社会に共通の近代性を見ることができる。

 止められない、永遠に未完成の、衝動的、強迫観念的、連続的近代化作業がそれであり、創造的破壊への(あるいは、いい方によっては、破壊的創造への)際限ない、抑制のきかない渇望がそれである。(p. 37)


 近代的であるとは、立ちどまらず、静止しないことで、今日においても、近代的であるとはそういうことである。(p. 38)


 しかしながら次の2点において、「われわれの時代」の近代には独自性があるとバウマンはいう。
 それは第一に、進歩の終わり、完璧さの達成、公正な社会の実現、需要と供給の均衡、完全な秩序、といった未来が、いつかは到来するだろうという幻想が消失していったこと。そして第二に、近代化を進めるうえでの主体と責任が社会から個人へとうつり、これにともない近代化の目標自体も「公正な社会」の建設から、個人的差異の尊重、幸福と生活様式の自由選択を保障した「人権」へと移行したこと。ここに近代性の確かな変化を見てとることができる。


 近代化は個人化と同義である。近代において、アイデンティティは「あたえられるもの」から「獲得するもの」へと変わり、その獲得と獲得にともなって生じる結果の責任は個人が負わされることになる。いってみれば、自立を理論上、達成することである。このような自己形成のあり方が、近代における「個人化」である。個人化は近代社会では普遍的に観測される。

 いまも昔も、流動的で軽量的な段階の近代においても、堅固で重厚な段階の近代においても、個人化は宿命であって、選択ではなかった。個人に選択の自由はゆるされても、個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由はゆるされない。(p. 45)


 初期近代と、近代の現段階との違いは、前者においては、身分から解放された個人を受け止める「階級」という居場所があったが、いまはそれすらもないという点だ。バウマンによれば、「個人が新しくおさまるべき場所は、準備されておらず、たとえあったとしても、居場所としてはまったく不十分で、個人がおさまりきるまえに消えてしまうような、たよりない場所でしかない」(p. 44)。
 近代において個人は宿命として誕生した。こうした個人の大半が、自己実現に必要な能力を実際はもっておらず、そのため真の自己形成をなしえないというのが、現代の大きな矛盾である。しかも、この真の自己形成(=本当の意味で自立した個人としての自己形成)は、自己実現能力を培うことで可能になるようなものではない。不可能を可能にするためには、他者と協働することや公的な空間に「居場所」を見つけることがかつては有効であったかもしれないが、いまではそのどちらもあてにすることができない。「個人は最初から、他者と団結するための接点をもたないように形成されて」(p. 46)おり、公的空間からは「個人的関心や興味」以外の関心は締め出されている(p. 48)。共同体もないわけではないが、そうした共同体は「共通の大義」や「共通の幸福や生活原理」の模索にもとづくものではなく、「共通の不安、心配、憎悪」を一時的に引っ掛けておくだけの洋服掛けのようなものにすぎない(p. 49)。


 こうしたことはなぜ起きたのか。また、どう対処したらよいのか。上の部分と重なるところもあるが、バウマンの言を引用しよう。

 形式上の個人の現状と、事実上の個人――運命をみずから決定し、真の選択ができる個人――になれる見込みのあいだには巨大なギャップがある。そして、このギャップには現代生活を汚染する、有毒な匂いがただよう。これは個人的努力だけでも埋まらないし、自己管理的「生活政治」において手に入る手段と能力だけでも埋まらない。ギャップを埋めることができるのは、大文字の政治だけだ。問題のギャップは生活政治が大文字の政治とぶつかり、個人的問題が公的言語に翻訳され、その集団解決が議論され、合意され、実行される公と私の中間点、公的空間、公共広場が消滅したことによってあらわれたといっていいだろう。(p. 51)


 ここにおいて、状況は古典的批判理論の時代とは大きく変わった。公が私を占拠しようとしているとはいえず、個人的関心、嗜好、悩みの範疇から少しでもはみ出すものは排除、除外される。これは個人が、みずからの運命はみずから決定できると繰り返し教え込まれた結果だ。その帰結として、人間は個人の枠をこえたものに重要性を認めなくなり、個人から市民性が失われた。

 公的空間からは公的な問題が消えつつある。個人的悩みと公的問題の出会いと対話の場としての役割を、公的空間は果たしえなくなった。個人化の圧力をうけた結果、個人はしだいに、そして、確実に、市民性の鎧を剥奪され、市民としての能力を没収されはじめている。目下のところ、形式上の個人が事実上の個人(真の自己実現に不可欠な条件を保有する個人)に変身する可能性は皆無に近い。
 市民にならずして、形式上の個人は事実上の個人とはなりえない。また、自立した社会なくして、自立した個人は存在しない。そして、自立した社会は意識的、計画的な自己形成をへて成立するのであって、それは構成員の集団的努力によってのみ可能なのである。(p. 53)


 「重い近代」は、明確さと論理性に貫かれた設計図を社会領域にあたえるといった試みが、哲学によってなされる時代だった。それはまた、法的手続きをへることで理性を現実化しようと試みた時代でもあった。したがって法的手続きをつかさどる国家を無視することはゆるされず、国家に協力するか、抵抗するかは死活にかかわるジレンマだった。
 他方、「液化した近代」では、国家は合理的社会の建設者ではなくなった。けれども、解放という目的が消え去るわけでも、批判理論の仕事がなくなるわけでもない。それらの意味は初期近代とは異なるものになったが、なくなってはいない。端的にいって、それは人々を公的空間に回帰させることにある。形式上の個人が事実上の個人になれるための「場」を提供することが、人間の解放を目的としてきた批判理論の取り組むべき今日的課題である。

 解放闘争は終わっていない。闘争を進めるためには、闘争がその歴史のほとんどを費やして破壊し、排除してきたものを、蘇生しなければならない。いま、本物の解放は「公的領域」「公権力」の縮小ではなく、拡大を訴える。逆説的だが、私的自由の拡大に必要なのは、公的領域を私的領域による侵略から守ることだろう。(p. 66)