アメリカのデモクラシー 第一巻(下): アメリカ社会が民主政治から引き出す真の利益は何か

 民主制はそれ自体として最善の政治制度ではない。民主制の弱点や弊害には目がいきやすいが、その利点はみえにくい。トクヴィルは、アメリカ人が民主制からどんな利益を引き出しているのかを描こうとしている。

 民主制のもとで、人民は権利を配分されることで他者の権利を尊重すべきことについて学ぶ。また政治や立法に参加することで、公共的精神が啓かれる。民主制下における政府の業績そのものよりも、そのもとで市民が自由に活動することによってなすものにこそ、トクヴィルは価値を見出している。少し長くなるが、以下の部分を引用。

 疑いもなく、人民による公共の問題の処理はしばしばきわめて拙劣である。だが公共の問題に関わることで、人民の思考範囲は間違いなく拡がり、精神は確実に日常の経験の外に出る。庶民の一員にすぎなくとも社会の統治を任されれば、自分にある種の誇りをいだく。権力の地位にあるとなると、学識に秀でた人々が彼に助力を申し出る。彼の支持を得ようと接触してくる者がひっきりなしにあり、さまざまなやり方で人をだましにかかる連中を相手にしているうちに、利口になるのである。彼は政治において、それまで思ってもみなかった事業に加わり、その経験から事業一般に対する好みを身につける。公共の所有地に改良を施すべきだという声を毎日聞いているうちに、自分自身の所有地も改良しようと意欲が湧いてくる。政治に関わる者の徳と幸福が先人に比べて増すわけではないだろう。だが精神は開け、いっそう能動的になる。私は、多くの人が言うように、民主主義の諸制度がこの国の自然と結びついて、アメリカに見られる産業の驚くべき活気の直接の原因を成すものとは思わない。だが、それが間接の原因であることは疑わない。法律が産業に活気をもたらすのではなく、人民が法律を制定する過程で、産業に活気を呼ぶ術を学ぶのである。
 民主主義を敵視する人々が、一人の支配者の方が万人の統治より立派な仕事をすると主張するとき、彼らは正しいであろう。知識水準が同じだとすれば、一人の政治の方が大衆より事業に一貫性がある。その方が忍耐強く、全体の把握、細部の完成においてすぐれ、人材の登用にも適切な判断を示す。これらの点を否定する者は民主的共和国を一度も見たことがないか、でなければ、小数の事例だけで判断しているのである。民主主義は、地理的条件と人民の気質によって存続しうる場合にも、行政の規則性や政治の一貫性を一目で印象づけるものではない。これは事実である。民主政治の自由は、賢明な専制政治のように完璧には個々の事業を遂行しない。往々にして成果があがらぬうちに事業を投げ出したり、危険極まりない冒険に乗り出したりする。だが長期的には専制政治より成果は大きい。たしかに個々の成果は少ないが、より多くのことを行う。民主政治の自由の下では、行政の達成度が特にすぐれているわけではなく、人民が行政の介入なしに、行政と無関係に行う事業が巨大なのである。民主政治は国民にもっとも有益な政府を提供するものではない。だがそれは、もっとも有能な政府がしばしばつくり出しえぬものをもたらす。社会全体に倦むことのない活動力、溢れるばかりの力とエネルギーを行き渡らせるのである。こうした活力は民主政治なしには決して存在せず、それこそが、少しでも環境に恵まれれば、驚くべき成果を産む可能性をもっている。この点にこそ民主主義の真の利点がある。(p. 134-136)